どーんと構えて

3人男子を育てる母の日記。

愛情って何だろう

お兄ちゃんと弟たち

お兄ちゃんの不登校を見ていた2つ下の弟。そして三男。

三男は長男と六歳差だからそんなに影響はなく、お兄ちゃんは学校にはいかないが普通になっているし、長男の扱いが上手です。

問題は次男。長男を受け入れられず自分も苦しくなってしまいました。不登校だけでなく、発達障害ASD)もあるから、弟には理解しにくかった部分もあるはず。でも、次男だって少し気難しい部分もあるから彼も何かあるのかも。

 

発達障害とか定型発達とか考えるとモヤモヤする。その子が困っているかどうかでしょ。自分だってASD だなとか思うもの。と、話がずれましたね。

 

 

ちょっと言いたい。

「宿題は百害あって一利なし」

兄の五月雨登校が始まったとき、次男は小2。

小4の五月雨登校の前、小3後半から教室でからかわれたり、うまくいかないと騒いだり、別室にいったりと発達障害からくる困りごとで大変だったお兄ちゃん。自宅でも学校でも荒れました。

人に害を与えるタイプではなくて、自分を追い込むタイプです。

家でも宿題が手につかず、やったりやれなかったり。漢字練習に1時間かかったり、自主学習にとりかかれず夜の9時過ぎになったり。

 

発達障害の講演会で、

「宿題は百害あって一利なし!やりたい人は自分で勉強するから」と大学の先生が言っていたので納得。発達さんには宿題は辛いのよ。

なんで宿題ができないのかは、発達障害のお話を掘り下げるときにでも書きます。

 

やるべきだ、ルールを守るべきという信念を持つ長男には宿題ができない→自分はクズだっていう発想になるのです。困りました。0か100か、白か黒か思考。

宿題ごときで自己肯定感が下がりすぎ!宿題は頑張れる子にはいいけどね…。しかも提出しないと怒られたりしますから。本当にいいことない。

先生方も大変だから、デジタルコンテンツ使うなり、減らすなりしたらいいのに。

 

ついに爆発した次男

宿題できないと騒ぐ兄を見ていた弟。尋常じゃないくらい泣いて騒ぎますから弟には辛い光景。

「なんでみんな宿題をやるのにやらないんだよ!」って兄に怒る。

理由を説明しても納得できない。

 

「お兄ちゃんはやってないのに!なんで俺には宿題しろって言うの!おかしい!」

 

お兄ちゃんは宿題をやっただけで褒められる。

小5には完全に学校に行かないで家にいる。

 

「お兄ちゃんはいつも褒められる。俺はあたりまえに宿題や学校にいっても怒られる」

 

気がついたら次男が泣いていた。

どうして私は気づいてあげられないんだろうって。寂しかったよね。次男は爪咬みもひどくなりました。

元から夜に眠れないタイプだったのに、さらに朝は起きてこなくて。付き添いして遅れて登校も多くなりました。スクールカウンセラーの先生にも相談してみました。

 

基本的に次男は学校が楽しいと感じるタイプだったから、行ってしまえば友達と楽しく遊んで帰ってきました。それは救いでした。

 

結局は親がうまく関われなくて、お兄ちゃんばっかりみていたので寂しかったのですよね。

家の中のルールがダブルスタンダード

次男に宿題をしなさいって言うとどうして俺ばっかりに言うのと怒る。どうせ俺はできないとお兄ちゃんは泣き叫ぶ。三男はまだ小さいから手がかかる。

自分が4人くらいほしかった!母ひとりでは対応できない。いや、やってたけど。お父さんは激務すぎて頼りにならない。残念なことにたまに家にいると、なんで学校いかないんだ、宿題をやらないんだとバトルになる。迷惑。

今は違うけど、当時はやっぱり親も大混乱でした。

 

そんな中のコロナ休校。

助かった!本当に助かった!

コロナ休校を喜ぶ人なんていないのかもしれないけれど、全員強制的に学校に行かないって理由ができたので都合が良かった。別の不安や恐怖みたいなのはありましたが…。

 

なぜか長男は休校に怒っていたけれど。学校に行こうと思っていたのに!って。そのとき小5の二月です。彼の中では学年が変わったら頑張って行くつもりだったらしい。

 

次男も休校中に安定してきました。

そのうちに、お兄ちゃんはお兄ちゃん、自分は自分だと分けて考えるようになったようです。ちょっと成長して気持ちが落ち着いてきました。

早く学校に行きたい、学校がないのはつまらないってわかったのもあるみたいです。

 

 

愛情とは。自分の育ちから考えた

 

兄弟に平等に接しているつもりでも難しい。

特に、障害のある子の兄弟は寂しい思いを抱えていたりします。その子だけのスペシャルタイムを取ってお母さんやお父さんと過ごす時間を作りましょうってよく言われました。2人で出掛けたり色々とやったつもりだけれど足りなかった。

 

私も3人姉妹。どこか寂しい気持ちがあった。姉と妹に挟まれて真ん中は放置気味。頑張っても注目されないというか。母もそんなに褒めたりするの上手じゃなかったんだよね。頑張っても、次はこれねと言う感じの親だったから。

姉は長女だから世間体重視な親は丁寧に接していたし、妹にはべたべた付きっきりで妹しか大事じゃないんだなと思わせるほど。

これが根底にある気がする。

親の育児を参考に自分の育児をしていたりするから、私も愛情かけるとか褒めるの苦手なんだとは思う。大好きといって抱き締めるとか苦手なタイプ。もう小学生なんだからとどこか線引きしちゃったり。

自分の育ちを振り返って、それを修正するのって大人にはしんどい作業。でも、それをしないとうちの子どもたちに愛情は伝わらない。

ちなみに旦那も厳しくそだてられたから、最初はかなり子どもにもきつかったです。ようやく穏やかになってきましたけど。

 

愛情って難しいよね。あげてもあげても足りないというか。形がないから尚更。

お兄ちゃんは発達特性上、愛情を注いでも受け取りにくい。

あっちに注げば、こっちが足りない。

私にも誰か優しくしてと思っちゃう。

自分で自分に優しくするしかないから、ちょっとコンビニ行って甘い物でも買いましょ。

 

 

 

心の体力

完全不登校からの居場所さがし。

5年前、長男は5年生。私も仕事を辞めて家にいました。一緒に近くを散歩したり、ゲームをしたりして過ごしました。

時々、この子は将来どうなるのか不安に押し潰されそうでした。お母さんたちはみんなこんな気持ちを抱えているはず。

 

勉強はどうする?

学年よりもだいぶ遅れてしまった。自宅でできるオンラインの学習教材は全く手をつけないし、こちらから一緒にやろうといっても拒否。

学校行かない馬鹿だから4年生のもわからないって自己嫌悪すごかった。死にたいみたいにも言うんです。そのくらい苦しいの。今じゃない…。

 

まずは心の回復。

君は君でいいの。認める。

勉強なんていつでもできる。

学校に行く=勉強ではなく、不登校だって自分で勉強できる。それとこれは違うベクトル。

 

動け私!!

県内で不登校の居場所づくりをされている方の講話があると知り、早速申し込みました。

その方は元学校の先生でお子さんが不登校になられたのをきっかけに居場所づくりを始めたそうです。講話が終わったあとに思いきって相談しにいってみました。親身に話を聞いてくださって、アドバイスや県内で不登校の居場所づくりをしている方を紹介してくださいました。

 

動くのにも心の力がいります。色々と削られていますから親も抑うつ状態。でも動かないと変わらない。動け、動け!必死でした。

 

それから、親の会にいって話をして、話をしているうちに泣きたくなっちゃって。ポロポロ泣きました。私も疲れて、不安でどうしようもなくなっていたのです。この気持ちをわかってくださる方がいたことに感謝しました。

 

居場所について

ここで不登校の居場所について。これはうちが発達障害だから使えた部分もあります。

  1. 学校の別室、保健室
  2. 適応指導センター
  3. 通級指導教室
  4. フリースクール

うちが検討したものはこれくらい。内容やどんなものかは書くと大変な量なのでざっくりと。

 

公的な支援の場所以外は、お金がかかることもあります。■中等部は週に3回で4万とか。いまは、放課後等デイサービスも不登校支援もしていますね。

仕事も辞めたし、月に4万はキツイので候補から外しました。公的な支援を受けるにしても交通費など色々とお金はかかります。これは不登校家庭の悩み。あと、小学校の学年が下だとなかなか居場所探しが難しいし、親の送迎必須。うーん。

 

学校の別室はすでに学校を見るとお腹がいたくなる息子には無理(当時は小学校に別室はありませんでした。)中学にはありましたが、全く通っていません。

不登校になったらまず近くの適応指導センターに!在籍校に聞くと詳しく教えてくれます。集団や個別指導もしてくれて親のフォローもしてくれます。色々な体験や調理実習、野菜を育てたりもして楽しそう。

当時は小学生の子よりも中学生が多かったです。見学に連れていっても、初めての場所に緊張したうちの息子にはハードルが高く、不安で泣いて帰宅。

個別対応はいっぱいで入級不可。小学生だったから親の送迎、付き添いは必須。その頃はフリースクールとかあまりなかったので、不登校には最後の砦のように思っていました。だから、拒否反応にはちょっと落ち込んでしまいました。

 

ここから本当の居場所さがしで、先ほどの親の会に繋がります。

 

 

その前に、5年生後半、通級指導教室を発達障害の枠で通うことになりました。学習やソーシャルスキルなどを個別で学びます。その教室は他校にあったので、学区外の学校に週に1日行くことに。親の送迎必須です。

何とか行ってはみたものの、すぐに帰ることもありました。しかも、担当の先生が登校圧をかける。それは在籍校担任から苦情をいれてもらいました。本当にやめて欲しい。学校がゴールじゃないです。でも、こんな感じで試行錯誤しながら一年かかって慣れてきました。

中学では自力で通級に通いました。急に行かないとかもあったけれど、中学になったらグループワークなどもあり、積極的に通いました。

受験の時は、担任からはまったく連絡がこなかったけれど通級の先生は親身に話を聞いて、作文指導や面談練習をしてくれました。本当に頼りにしていたし、感謝しかありません。

先生による、とはあまり言いたくないけれどそう感じてしまいますよね。

 

さて、親の会から情報を聞いてフリースクールにいってみることに。徒歩圏内にありました!

フリースクールでは中学、高校くらいの子が多かったけれど、ゲームをしたり楽しそうに過ごしています。相談員の方も親身に話を聞いてくださいました。うちの息子も楽しそう!

「ここなら通えるかも」

ようやくたどり着きました。しかも、自力で通いだしました。中学3年生まで通いましたよ。イベント企画して運営したり、テレビでそのフリースクールを取り上げたときには不登校についてインタビューを受けていました。すごいことです。

 

探せばきっとある!

居場所がある!

また笑顔になれる!

 

探すのには心の力も使うから無理はせずに

住んでいる地域によっては難しい場合もあるけれど、いまはネットがあるから検索して探してみてください。あなたの力になる人たちはいます。

 

5年前よりも手厚くなっている不登校支援。保護者の方の頑張りだと感じています。道を拓いてくれた先輩お母さん方、お父さん方、ありがとうございます。いまは、私も助けてもらった気持ちを他の方に返していきたいと思っています。

 

不登校の子どもと向き合う母親の苦悩

さて、小学校5年生で完全不登校になってしまった長男。私も仕事を辞めて家にいることに。

学校と連絡を取って、この教科、行事に参加してみようと付き添ってみました。放課後に担任の先生にも会いにいったり、朝に顔を出して帰宅してみたり。でも、やっぱりだめでした。学校が見えるとお腹が痛くなる、表情が無くなるのです。そんなに辛いなら通わなくていいんだよってようやく言うことができました。

 

担任の先生にはいろいろとお世話になったので感謝している部分もありますが、許せない一言もいわれました。

「お母さんが家にいるから甘えて学校にこないんです。

 そのへんのパートでもなんでもいいので仕事してください。

 仕事をしているふりでいいので自宅をでてください。」

五月雨登校になったときに必死に周りに頭を下げて遅れていったり、昼休みに抜けて送っていったりしたことがどんなに大変だったか。不安定な小学生を自宅に一人でおいていくことができるでしょうか。

言われた後に悔しくて息子がいないところで泣きました。

しかも、学校にいけない理由は全てが甘えではありません。発達障害のため感覚過敏、対人スキルが低く関係が構築できないことが根底にあるのに。

いろいろな決心をして仕事を辞めたのに、なんで担任からそんなことを言われなくてはならないのでしょう。

 

学校の先生には「どうして教室にはいらないのか」なども何回も言われて心が傷付けられています。なんでこんな寄り添わない発言ができるのか驚きです。すべての先生がそうでもないのはわかっています。

先生だって何気なく言ったのだと思いますがその一言が親の心を打ち砕くのです。忙しいのに対応してくださったのには感謝していますが、この一言で私はとどめを刺された。いい先生だってみんなが言うんです。…ママ友にも主人にも言わなかった。言えなかった。

 

仕事を辞めた私が悪いのか

子どもが泣いているのは私の育児のせい

私が悪いから

 

子どもが不登校になって仕事を辞めたり

子どもや親が追い詰められていく

一緒に深い水の底に沈んでいくようなそんな感覚

 

 

辛いなら行かなくていいよ。もうお母さんも無理はさせないから

でも、どこにいけばいいんだろう。

漠然とした不安だけが残りました。

 

そして居場所探しがはじまりました。

書いていたら暗いし、重い。

でも実際はみんなこんな感じじゃないかな…

 

 

お母さんに捨てられた

初めまして。

初めまして。はなです。アラフォー世代の子育て母ちゃん。3人の男の子の母です。ようやく、長男が高校生、次男が中学生、三男が小学生になりました。まだまだ大変だけれど、少し手が離れてきました。嬉しいような寂しいような…。このブログは、子育てについていろいろと書いていこうかなと思います。

不登校を思い出して

今から数年前に長男は不登校に。なんだか大げさなタイトルって思いましたけど母は頑張ったと思う。誰もほめてくれないから自分で自分をほめようと思っています。

うちの長男は小学4年生から行き渋り、5年生からは完全に不登校です。中学校なんて全く通っていません。そんな長男はこの4月から通信制の高校に入学し、楽しそうに学校に通っています。いま、辛い思いをしている方に「大丈夫だよ」と言ってあげたい。あのときがあるから今があります。

 

親子ともに一番辛かった時期。

小学校3年生からからかいなどいじめがありました。担任もうまく対応できていなかったと思います。ちなみに、うちは自閉症スペクトラムだと何度も伝えていました。これについてはまた後日書きますね。

 

小学校4年生では、聴覚過敏もあったので教室のにぎやかさに耐えられず、隣の別室で過ごすことが多くなりました。そして、10月…ぷつんと糸が切れたように学校に行けなくなりました。

スクールカウンセラーにも本人も私も定期的に相談していましたが、それでも溢れてしまったコップの水は元には戻りませんでした。アドバイスされたことは何度もやったけれど、学校の校舎が見えてくるとお腹が痛くなるし、泣いて帰るなど大騒ぎで思い出しても辛い毎日。小学4年生で不安定な子供を自宅に一人で置いておくわけにもいかず、かといって仕事をしていた私は頻繁に休むわけにもいかず。今なら絶対にしないけれど、当時は腕をつかんで引っ張て学校に連れていったこともあります。学校で「お母さんに捨てられた」と言われたときは涙で前が見えなくなりました。

でも、仕事がどうしても休めなくて私はそのまま仕事に行きました。なんてダメな母親なんだろうって何回も責めました。

なんとか登校してほしいと思って、時間を決めて短時間だけ登校する、放課後に行って先生に挨拶をして帰宅するなどもしていました。でも、それをすると息子が辛くなるんです。それは、私の勝手な行動で。

家にだけいてほしくない

引きこもりにはなってほしくない

勉強は進学はどうなるの

仕事はどうしよう、辞めなくちゃ

学校に行けないだけでメンタルがかなりやられてしまいました。

でも実際に辛かったのは息子なんです。私じゃない。

 

毎日、学校に行けずに自分を責めて泣いている息子。

「僕が普通じゃないからだめなんだ」

「いなくなればいいんだ」

そんなことまで言わせてしまった。

学校なんて行かなくたっていい。自分を大事にしてほしい。

ただひたすらにそう思いました。

 

いま学校に行けずに困っている人、大丈夫。あなたの居場所は必ずあります。

数年前よりも選択肢はいっぱいあるから。

自分の心と体を大事にしてほしい。

お母さんもお父さんも頑張りすぎずに誰かに相談してほしい。

 

今日はここまで。

次回、父と母で意見が対立、実の親から行かせろと言われる、兄弟も荒れる…って話を書くと気が重くなるので、どうやって居場所を見つけたかを書こうと思います。

読んでくださってありがとうございました。